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東海地震は来るか?

185年12月 安政東海地震 M8.4
1854年12月 安政南海地震 M8.4  (安政東海地震の32時間後)
1944年12月 東南海地震 M7.9
1945年1月 三河地震 M6.8  津波で2300人死亡

いつきてもおかしくないと言われている東海・南海・東南海地震。この地を襲った過去の地震について、私達は何を知っているのだろう。起きたあとで「想定外」では済まされない。「想定できたのに想定しなかった」が正しい。

原発利権に群がる企業や政治家、マスコミも含めて、自然の驚異をもっと真摯に認識していれば、今回の福島原発事故は防げた。

時代は移り、未曾有の災害は記憶から薄れ、世代が変わってさらに希薄になる。最悪な地盤の上に、浜岡原発が

安政東海地震

 安政元年11月4日(1854年12月23日)、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4という巨大地震が発生した。
この地震が発生した年は嘉永7年で、当時の瓦版や記録はすべて嘉永としているが、この地震の32時間後にはM8.4と推定される安政安政南海地震が連続して発生し、さらに広範囲に被害をもたらせたため、この両地震から元号を嘉永から安政に改めた。年表上は安政となるため後に安政東海地震と呼ばれるようになった。(東海地震・警戒宣言)
 この地震で被害が最も多かったのは沼津から天竜川河口に至る東海沿岸地で、町全体が全滅した場所も多数あった。また、甲府では町の7割の家屋が倒壊し、松本、松代、江戸でも倒壊家屋があったと記録されるほど広範囲に災害をもたらせた地震であった。
 地震発生から数分~1時間前後に大津波が発生し、東海沿岸地方を襲った。伊豆下田、遠州灘、伊勢、志摩、熊野灘沿岸に押し寄せた津波で多くの被害を出した。伊豆下田では推定6~7mの津波が押し寄せ、948戸中927戸が流失し、122人が溺死したという記録が残っている。また、江浦湾でも6~7m、伊勢大湊で5~6m、志摩から熊野灘沿岸で5~10m大津波が襲来し数千戸が流失した。
 特に伊豆下田では折から停泊中のロシア軍艦「ディアナ号」が津波により大破沈没して乗組員が帰国できなくなった。そこで、伊豆下田の大工を集めて船を建造して帰国させたが、このときの船はわが国の外洋航行可能な船の建造の始まりでもあった。
 清水から御前崎付近までの地盤が1~2m隆起し、清水港は使用不能となった。地震の被害は流失家屋8300余戸、死者600人余と甚大なものだった。
 この地震は重大な教訓を残した巨大地震でもある。それは巨大地震の東海地震は有史以来5回発生しているが、そのうち4回はその直後から2年以内に巨大地震の南海地震も発生するという、東海、東南海、南海の巨大地震の発生メカニズムを証明したのである。この史実は現在のわが国の地震予知学問に重大なキーワードをもたらせることになった。それまでに発生した過去の巨大地震を振り返ると・・・

東海東山道地震(1586年・天正13年)
慶長地震(1605年(慶長9年))
元禄地震(1703年・元禄16年)
宝永地震(1707年(宝永4年)に
安政東海地震(1854年・安政元年)
安政南海地震(1854年・安政元年)
東南海地震(1944年・昭和19年)
昭和南海地震(1946年・昭和21年)

 以上のように、東海道で巨大地震が発生すると、同時又は短時間後に南海道でも巨大地震が発生するというメカニズムが歴史的に証明されている。
 
 近年東海地震発生の切迫性が伝えられているが、東南海、南海地震と連動して発生する可能性も高く、単独地震発生だけでなく連続巨大地震発生に備えた防災対策が急務である。

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